東洋医学の解剖学の歴史(5)

さて、前回お話しした通り5世紀以降病理解剖はタブー視されています。

よって、医学的に解剖して病理を検証しよう、と言う方向へは発展していきませんでした。代わりに蔵象学と言うものが発展していきます。

これについては改めてお話ししたいと思います。

さて、11世紀初頭に宋(北宋)という王朝がありました。

この時代は火薬の発明など様々な技術革新が起こった時代でもあります。印刷技術が発達し、おかげで医書も多くのものが残りました。

この時代反乱を起こした欧希範と言う人物がいます。

この人も解剖刑に処せられ、その図が記録されました。欧希範五臓図とよばれます。

これはやはり北宋の時代に活躍した楊介という人物の存真環中図と言うものの中にも引用されます。

霊枢、難経に出てきた解剖の記録は、長さ、重さ、大きさ、内容量、位置の記録ですがこれが一番はじめに図として記録されたものになります。

この欧希範五臓図、存真環中図自体は現存しませんが、鍼灸医学の古典である鍼灸大成という書物に引用されたり、日本において鎌倉時代に活躍した梶原性全と言う人の「万安方」、「頓医抄」と言う書物の中に引用されています。是をみるとかなり正確な内容になっています。

 

つづく