東洋医学の解剖学の歴史(1)

先日東洋医学における解剖学の歴史をまとめる機会がありましたので書いてみようかと思います。

現在確認されている中国最古の王朝として殷(商)と言う王朝が有ります。これが紀元前17~11世紀の間にあったとされます。
日本では縄文時代に当たります。
その前にも夏という王朝がありましたが、考古学的にはそれらしい王朝の後が見つかった、と言う所でとどまっています。
余談ですが、中華の華は夏と音が通じ、夏王朝の末裔という意味があるという説もあります。

さて、話を殷王朝に戻します。
最後の王である紂王は最近の研究では祭祀に熱心であっととされています。
この祭祀というのは神様に生け贄を捧げることですね。

勿論動物も捧げましたが、奴隷であった人間も捧げていたようです。
当時の甲骨文字の中に「心」を表す文字があり、一定度の解剖学的な知識があったとも考えられています。
又、殷の紂王が叔父の胸を裂いて心臓が動くのを見た、と言う記載が史記にありますがこれは後世に作られた話とされています。
もしかしたら祭祀で行われていたのかもしれません。

因みに古代インカ帝国においても人間を生け贄としていたり、頭蓋骨の手術をした痕跡などが見つかっています。

つづく