東洋医学の解剖学の歴史(6)

さて、宋の時代に欧規範五臓図が作成されてから、中国における解剖学は19世紀に至るまで発展しなかったようです。

日本においても、蔵象図(解剖と生理を合わせたイメージ図)や古い解剖図の内蔵の形に疑問を持った医者はいたようですが、18世紀に至るまで正確な解剖はされてきませんでした。

1754年に山脇東洋という医師が、何度も幕府に誓願のすえ'解剖の見学'と言う形で解剖図の作成に成功し、「蔵志」というものを出版しました。

その後杉田玄白、前野良沢らが1774年に「ターヘルアナトミア」を和訳し「解体新書」と言う本を出版します。これは歴史の教科書にも載っており名前くらいは聞いたことあるなーと言う方もいらっしゃるかと思います。

 

また、1804年に華岡清州という医師が華陀の麻沸散を参考に通仙散を開発し、全身麻酔で乳がんの手術を行っています。

配合が難しかったらしく、秘伝とされ流布されませんでした。

当然開発は難航しましたが、自分の母と奥さんで試した結果、母は失明しています。

これについては、有吉佐和子という作家が「華岡清州の嫁」と言う本を書いています。

この華岡清州という医師は紫雲膏という薬を作っています。(正確には別の薬を日本人の肌に合わせた配合に変えた)

外用薬の中でもメジャーな薬ですので、やけどや傷などに使ったことがある方もいらっしゃるかもしれません。

 

それでは次回中国のお話しでこのシリーズは完結です。