さて、殷という国は周という国に滅ぼされます。 その周という国が力を失い、春秋戦国時代と言われる時代に突入します。日本では弥生時代に入る頃でしょうか。 正確な成立年代は不明ですが、この頃活躍したとされる人の「列子」という書物があります。 その中に有る逸話に本物の人間そっくりの機械人形の話が載っています。 この人形の肝蔵を外すとその目が見えなくなり、腎臓を外すと腰が立たなくなり、心臓を外すと口がきけなくなったそうです。 面白いのは、現代の中医学の内臓と体の器官の繋がりがこの時点で反映されていることですね。 (専門的には肝は目に開竅する。腰は腎の府。心は舌に開竅する。といわれており非常に関係が深い。) 此の事から、当時ある程度の解剖学的な知識があったのではないかと推測しています。 只列子の成立年代が不明なこと、後世に編入された可能性もあるかとは思うので断定は出来ませんが。 さて、この次は東洋医学のバイブルとも称される「黄帝内経」という書物が出て参ります。 つづく
先日東洋医学における解剖学の歴史をまとめる機会がありましたので書いてみようかと思います。 現在確認されている中国最古の王朝として殷(商)と言う王朝が有ります。これが紀元前17~11世紀の間にあったとされます。 日本では縄文時代に当たります。 その前にも夏という王朝がありましたが、考古学的にはそれらしい王朝の後が見つかった、と言う所でとどまっています。 余談ですが、中華の華は夏と音が通じ、夏王朝の末裔という意味があるという説もあります。 さて、話を殷王朝に戻します。 最後の王である紂王は最近の研究では祭祀に熱心であっととされています。 この祭祀というのは神様に生け贄を捧げることですね。 勿論動物も捧げましたが、奴隷であった人間も捧げていたようです。 当時の甲骨文字の中に「心」を表す文字があり、一定度の解剖学的な知識があったとも考えられています。 又、殷の紂王が叔父の胸を裂いて心臓が動くのを見た、と言う記載が史記にありますがこれは後世に作られた話とされています。 もしかしたら祭祀で行われていたのかもしれません。 因みに古代インカ帝国においても人間を生け贄としていたり、頭蓋骨の手術をした痕跡などが見つかっています。 つづく